地元から出たことがない僕が国立大学法人職員を辞めて海外(カナダ)でWebデザイナーになる決意をするまで -with my wife-
自己紹介
僕は2012年4月~2015年12月末まで約4年間、国立大学職員としてうどん県の某大学で事務職員をしていました。現在は退職し、自宅でWebデザイン、コーディング、英語の勉強をしています。当初の計画では、既にカナダに移って語学学校に通っているはずでしたが、ビザ、資金面、英語力等の問題が生じたことから、まだ国内に潜伏しています。さて、簡単に僕の黒歴史について以下にまとめてみました。
【僕の黒歴史】
21歳 まで |
県外に出ることすら嫌い、うどん県でくすぶる。ただの無気力ヒゲ男。 |
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21歳 大学卒業 |
地元の段ボール会社に就職するも3か月で辞職。本物の社畜を目の当たりにした結果、生きている事が悲しくなる。 |
22歳 社会卒業 |
ほぼ自宅から動かずにダラダラ生活。何の罪もない母親に当たり散らす。 |
23歳 海外放浪 |
自分では1歩も動けなくなったので何となくバックパッカーをしてみる。東南アジア、北米、中米、南米など。 |
24歳 大学採用 |
帰国後、何となく安定を求めて地元うどん県の某国立大学へ就職する。それなりに充実した日々を送る。 |
28歳 大学辞職 |
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28歳で海外留学を決意した経緯
大学職員という仕事は、あまりエキサイティングではありませんが比較的自分の時間を確保できる職業でした。年に2回は海外旅行に行っていましたし、趣味に生きることが可能でした。旅行、キャンプ、スノボ、etc...と、楽しい毎日でしたがバックパッカーをしていた時のドキドキ・ワクワクした日々が忘れられずにいました。
旅の途中で仲良くなった友達(日本人)は日本に戻った後もそれぞれの目標に向かって、ひたすら前に進んでいます。何の目標もなく生活しているのは僕ぐらいでした。今からでも未知の世界に飛び込んでみたいという想いはありながら、安定した未来と天秤にかけては自分でブレーキをかけていました。
そんな時ボリビアで仲良くなった友達から電話があり、留学について相談していると、彼は「何やってんの、はやく行けよ。まだ自分で限界決めるクセ治ってないの?」と言うのです。僕はハッとしました。そして無言の僕に向かって、彼は続けてこう言いました。
「はやく大学職員辞めて、エチオピアでたこ焼き屋オープンしろよ」と。
この電話の直後、僕はカナダでWebデザイナーになる決意をしました。彼には本当に感謝しています。
自分の限界を決めることができるのは、この世でただ一人。そう、自分自身。僕は28歳で、自分を信じる勇気を手に入れたのです。
2018/5/20追記
現在は妻とカナダはトロントで生活しています。僕の最新版自己紹介はAbout meへどうぞ。